任天堂 (2007/11/01)
売り上げランキング: 26
おすすめ度の平均:
面白い
夢中になります。
楽しいけど
本日、エキサイトさんとの会食を終えて、夜遅く帰宅すると、奥さんがマリオギャラクシーをやっていた。(こうやって「某社」と書かずにすむのは楽だなぁ。ローンチしたのは夢じゃないんだ!)
マリオブラザーズも、スーパーマリオも、マリオ64も、サンシャインも一度もやったことがない人が初めてプレイするマリオがWiiのマリオギャラクシーとは、なんて贅沢なと思うが、奥さんが自主的にゲームを楽しんでいる事実は快挙と言える。
僕はゲーマーなので、隙あらばゲームをしたいと思っており、鞄にはDSかPSPの必ずどちらかが入っていないと不安になるタイプの人間なのだが、反して奥さんはとんとTVゲームには興味がないのだった。もちろん結婚してから、色々とプレゼンもしたし、いくつかのゲームを一緒にやったこともあった。PS2のバイオハザードを朝までやったり、逆転裁判も1~3まではクリアしていたと思う(あれ、振り返ると結構やっているな...そういえば今も寝る前にDSの西村京太郎ゲームをやっているし)。
ただし、それぞれ僕の涙ぐましいプレゼンの成果であったのが事実だ。
その点、マリオギャラクシーは、僕が遊んでいるのを見て、「おもしろそう」と思ったらしい。自分でもやってみると言いだして、やり始めた。ゲーム初心者にはちょっと難しいアクションなどがあるので大丈夫かな(逆に上手くできなくてゲームを嫌いになるのでは、という不安)と思っていたが、多少苦労しながらも、ゲームオーバーになっても、再挑戦しながらクリアしているようだ。この光景を目の当たりにして、マリオギャラクシーというゲームの懐の深さを感じた。ゲーム初心者でも上級者でも、いわゆる「レベルの難易度設定」なしで楽しめる、このゲームのバランスの良さには、何か魔法がかったものを感じた。そのまんま、何も変えずに、あらゆるレベルの人が楽しめている。
ところで、奥さんがゲームの楽しさを知ってくれて嬉しいのは、いずれ子供が大きくなったときに、家族で楽しめると思っていたから。小学校5年生くらいの時にうちにもファミコンが来て、ずっと「自宅でゲーム」派なのだが、一度だけ家族全員(文字通りファミリーで)ファミコンを楽しんだ記憶がある。それがロードランナーというゲーム(昔からPCのゲームとして有名だったが、ハドソン(中本さん?)がファミコンに移植した)。僕や妹はいつも遊んでいるので、上手いのだが、うちの母や父は初めてなのでとても下手。ロードランナーを知っている人はわかると思うが、敵を落として埋める穴を掘って、思わず自分が落ちちゃうとか、わざわざ自分が進む方向に穴を掘って下に落ちちゃうとか、典型的なミスを両親が繰り返すのが、おかしくておかしくて妹と笑い転げたことを思い出す。あまりにも笑いすぎたためか、その後、両親がロードランナーを一緒にやってくれることはなかったが笑。
そんなことが僕のゲーム人生の起点になっているものだから、ゲームは家族で楽しめるのがよいと勝手に個人的に思っている。ファミリーコンピュータとは良く名付けたものだ。
人間はみんな、それぞれの時代で、それぞれの嗜好で娯楽を求めてきた。そもそも娯楽に優劣や貴賎など無いと信じている。哲学的な思考実験が好きな人もいれば、TVゲームを楽しむ人もいる。漫画やアニメが好きに人もいれば、歌舞伎や新劇が好きが人もいる。最近は「大人のくせに漫画を読んで」。。。みたいな言われ方をされることがあるけど、小説が娯楽だった時代に、もし現代の漫画があったらどうだろう。多くの人は漫画を読み始めるんじゃないかと思う。単になかっただけで、人々はその時代に存在するもっとも面白いものを求めるのが自然なのに。確かに、文化とか芸術といった切り口で議論されることがあるので、ついわかりづらくなってしまうが純粋に「趣味・娯楽」という観点で言うと、それは「楽しいもの。自分が好きなもの。リラックス、リフレッシュできるもの」であるという普遍的な定義で統一されるはずだ。
そんなわけでたとえば僕の中では、日経ビジネスを読むのも、ゲームをするのも、読書をするのも、NHKスペシャルを見るのも、音楽を聴くのも、(昔だったら)勉強するのも、ある意味、同じ「娯楽」に属している。本音を言うと、仕事もそこ混ぜたいんだけど、語弊がありそうなので一応分けておく笑。
大人ぶってゲームやバラエティ番組を軽んじるのは反対だな。きっとそういう人だって、ゴルフとか草野球とか、パチンコとか、タバコとか、高尚な映画とかで息抜きしているのに変わりはないんだから。
ああどんどん脱線してマインドマップのように思いつきを次々に書いてしまった。寝ます。
最近のコメント