今月の初旬に「基礎デザイン学会」という集まりの定期セミナーにお声がけいただき、Skypeに関わることで僕自身が感じているコミュニケーションの変化、などというテーマでお話しさせていただいた。そのときご一緒させていただいたのが、慶應大学三田校舎の近くで「三田の家」という、えーと、、、「家」(笑)を運営されている坂倉杏介さんという方だ。古い一軒家を、運営メンバーの手で改装している。
(ちなみに基礎デザイン学会を運営されている翔泳社の篠崎さんも、もともとは渡辺聡さん主催の食事会でお話ししたことがきっかけ。渡辺さんと篠崎さんは2年前からお知り合いだったようだ。坂倉さんはつまり、渡辺さんから始まって 3 Degreesで知り合えたことになる。)
坂倉さんは慶應大学でデザイン、デジタル、コンテンツなどの周辺を扱う講師をされている。三田の家は板倉さんが手がけるプロジェクト(?)のひとつで、まさしく三田にある家である。2006年9月末にオープンした際のコメントを引用させていただく。
私たちは「三田の家」を開きます。
「三田の家」では、ふだんあまり出会わない人どうしが、ふだんあまり出会わない出会い方で出会うことでしょう。
大学生、教員、商店主、芸術家、留学生、住民、会社員などと、ふだん呼ばれている人たちが、その呼び名からいっとき解放されて、カジュアルに、ときには真剣に語りあい、行いあい、学びあいながら、この場=家を、ともに作っていきます。
そこで生まれていくであろう、「小さな」学校、「小さな」まちづくり、「小さな」国際交流、「小さな」アトリエ、「小さな」宴が、いつしか、外に向かっても響きあうように、この「家」が開かれていくことを、私たちは、願っています。
「三田の家オープンハウス」 (Fragments)
僕は上述のセミナーの時に初めて「三田の家」を知ったのだけど、そのとき思い出したのが、小学生の時に訪れた仙台の街だ。仙台の街はあらゆるところに「学生さん歓迎」とか、そういうムードを感じた。そのときの「なんか良い印象」はずっと残っていて、進学先として、仙台にある東北大学もいいなと思っていた時期があるほど。三田の家はそんな街作りなのかというと、実は坂倉さんの口からも限定的な説明の言葉は出てこない。ただせっかく「大学がある街」として現状ではもったいないので、地元の人と大学の関係の触媒、学生と先生の学校とは違うコミュニケーションの場、他の大学の生徒、先生との接点、などを三田の家をきっかけとして実現できればよい、というようなソフトな方向性だけはわかる。
さて、基礎デザイン学会のセミナーから3週間近く経った昨日、やっと三田の家を訪れることができた。坂倉さんとビールとワインを飲みながら、そしておつまみには、どなたかが作られた(笑)「桃太郎鍋」というとてもおいしい鍋をいただきながら、さながら「親戚の家」にいるような感覚で、そして「いとこ」と話すような調子で、お互いの考えなど、面白いトピックなどを交換し合った。
その後、三田の家からほど近い「noosphere(ヌースフィア)」というダイニングバーに移動し、再び語り合った。(ちなみにnoosphereは、知り合いの關さんという社長さんが共同オーナーをされているお店。「ノーアスフィアの開墾」と同じスペルだが、同書登場より前に名付けられている)。
坂倉さんは僕と年齢がたぶん一緒で、同じ年に同じ大学を卒業し、一度大企業に入って、その後そうではない社会生活を送っているという、非常に僕と近いバックグラウンドをお持ちの方だ。そんなことも盛り上がったひとつの理由かも。根本的なところで、僕とかなり一致する見解をお持ちだったので驚いた。三田の家には、また是非伺いたいし、坂倉さんともお話ししたい。
皆さんも是非、ふらっと立ち寄ってみてはいかがだろうか。目的がないのに、ある場所へ向かうという感覚だけでも新鮮なはず。かなり雰囲気のある「家」なので、イベントに使いたい!と思う方もいるかも知れないが、場所貸しはしていない。そういう問い合わせも多いとのことなので、僕も念のため補足しておく。そういう意図の場所ではない。三田の家に行って、ぼーっとしていたり、いる人、または来る人と話したりすれば、言葉にはできない、その家の持つ役割をなんとなく感じるんじゃないかな。僕もまだはっきり分かっていないが、坂倉さんの「少なくとも、悪いことをしているわけではない」という言葉が暗示するとおり、厳密な目的を持たせないが、存在意義を「ブレ」させてはいけない”何か”が大切にされている空間だ。これから何度か坂倉さんとお話しさせていただければ、自分でもよく分からない「自分が知りたかったこと」がわかるような気が漠然とした。
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