秋葉原の事件をはじめ、衝撃的な事件が多くニュースを見るのも嫌になってしまいます。
そういう一見理解しがたい事件が起きたとき、それを報道、分析するテレビ番組などを見ていて毎回首をかしげることがあります。それは、おそらく安心を素早く得たいがために、その犯人の特異な行動を引き起こさせた「内なる闇」を形成したとされる、あるいは影響を与えた思われる環境、思想、趣味嗜好を無理矢理にでも探し当て、短絡的に悪いことのように取り上げることです。
オタクが悪者になったり、気持ち悪がれたりするのもその一例。この国はオタクが支えているのに。そういう趣味嗜好じゃなくて、単に「人を傷つけてはいけない」ということを守れるかどうかなんじゃないのかな。そこのすり込まれ方が甘いんじゃないのかな、と思います。もう少し実践的に言うと「相手の立場に立って物事を考える」という訓練がぬるいんじゃないかと感じます。「自分が自分ことを大事なのと同じように、相手も相手自身のことが大事なんだ」という当たり前のことをなぜか考えられない人がいるようです。
「人を(精神的にも肉体的にも)傷つけてはいけない」
このルールを守っている限り、実際、何を考えていたって、どんなに普通の人と違う趣味があろうと、なんの問題もないはずです。(ただし科学的統計データがあり、特定の嗜好と犯罪発生率に因果関係がある場合は、犯罪捜査対象としてバイアスがかかっても仕方ないですね。公共の利益のために)
タガーナイフとか、レンタカーとか、テレビゲームとか色々と掘り下げて、そして社会的な歪みなどに結びつけて、誰も解決できない難しい命題を掲げるヒマがあったら、とにかく、何が何でもこの「(いかなる場合も)人を傷つけてはいけない」というルールを叩きこむこと、「相手の立場で物事を考えてみる」訓練をさせることだけに集中、徹底してもらいたいと強く思います。こういう当たり前のことは風化してしまうものです。声に出して言い続けないといけません。
自分が自分のことを大事だと思うのと全く同じように、他人も自分のことが大事なんだよ。
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