もちろん字が読めるとか、一人で電車に乗れるとか、もっと高級な例だと、会話から相手のわずかな反応を読み取ってさりげなく話題を変えてあげるとか、そういうことはできるようになった。なので、子供といると自分はとっても大人な気がして、また子供から見ればパパ(およびママ)は何でも知っている存在として認識され、そして(基本的には)「正しい」ことしかしない人たちだと思われている。だが実際のところ、子供と接していてふと自分を顧みたとき、根本的なところが全くと言っていいほど赤ちゃん状態で成長していない自分に気づくときが多いのだ。
とくに坊やを注意するとき、自らを振り「うーん。僕は今、自分でもできていないことを注意しているぞ。。」と心の中でつぶやく。代表的な2つのケースをあげてみる。
[ケース1] ご飯食べるのも、お風呂に入るのも、歯磨きするのも「遊び」にしてあげないとなかなかやらない。たとえばキュウリを食べる音をお互いに聞かせ合ったり、お風呂はそれこそ1時間半コースでのぼせるほど遊ぶ。もちろん発泡系の入浴剤は重要アイテム。歯磨きもムシ歯をネタにして虫がいることにするとか、くすぐりながらはみがきするとか、そんな感じ。そこで一言「まったく、なんでも遊びにしないとやらないんだからなあ」と言ったあと。
=> 仕事も(安定した日本企業から、やりたいこと重視で外資へ)、勉強も(文系から理系へ転向)みんな楽しさ、やりがいを求めて選択している自分に気づく。そしてそうじゃないと「何もパワーが出ない」自分にも気づく。楽しくないことをやる必要って(広義で)ないよなあ、くらいまで普段思っている自分に気づく。
(関連するかもしれない過去のエントリ)
- s@s: 自分の転機 (1)
- s@s: 自分の転機 (2) ロータス編1
- s@s: 気が合わない人と起業
- s@s: up to me
- あきらめず、人のせいにしないで、後悔しないように — siwata's home
[ケース2] 坊やはとにかく遊び始めたらきりがない。次々に連鎖反応的におもちゃを持ってきて、延々遊び続ける。そろそろやめてお風呂に入ろう、というときがなかなか大変。そこで一言「いい加減にそのくらいにして、またあとで(または明日)やろう」と言ったあと。
=> 飲み会に行くと、絶対に最後まで行く自分に気づく。飲み始めたら止まらなくなり、翌日二日酔いになるまで飲んでしまう自分に気づく。PCやMacの設定など、夜中にやり始めて、続きは明日やればいいのに、眠い目をこすりながら、たとえ翌日が朝早かろうともやろうとする自分にも気づく。
35年も生きてたって全然できないのに、2歳半じゃあ無理だわな。
でもパパはちゃんとできているふりをして注意するのだ。
子育ては子育てなのだ。:)
みんな楽しくやらないといやいやになりますし なかなかやろうとしません これいけないところだと思います
あ ちなみにMACを近いうちに買います Airで今コメントしてるPCのびすたじゃなくて Linuxからコメント入れています
投稿情報: けけ | 2008年3 月13日 (木) 08:08
爆笑!! いやー笑った。あのね、一般的にはそういうのを「遺伝」といいます。なぜか子供って自分の困ったなあと思うところをばっちり受け継ぐのだ。例えば私で言うと「片づけができなくてだらしない」とか「すっごいおしゃべり」とか。だから叱りながら自分を見ているようで嫌になっちゃうよね。ある程度あきらめてとことん付き合うしかないよね、自分の親がそうしてくれたように。
投稿情報: とも | 2008年3 月19日 (水) 02:30
何度もごめん。かき忘れたけど、だから別に「成長していない」のではなくて、元来そうだから成長しようがないんだよーん。
投稿情報: とも | 2008年3 月19日 (水) 02:32
ともさん、コメントありがとう。
子供面白いよね。
投稿情報: siwata | 2008年3 月21日 (金) 22:23