江島健太郎さんのこちらのエントリを読んで、自分にも共通体験があり、急に思い出した。自分の人生の転機のようなものを、いつか書きたいと思っていたのだ。たいしたもんじゃないけど、自分のメモのため、または少しは他人の参考のために、少しずつ記してみようと思う。確かに、大学で講演したりすると、学生さんの質問で多いのが「どうやって今のようなポジションになったんですか?」なので、多少は参考になるかもしれない。とは言え僕の人生はまだ進行形なので、この後どうなるかわからないけどさー。
その前に、せっかくなのでちょっと江島さんのことを書いておく。
僕が初めて江島さんに会ったのは、僕がまだアリエル・ネットワークという会社にいた頃だ。現アリエル社長の小松さんと一緒に、大井町のインフォテリアまで社長の平野さんとのミーティングに出かけていった。その時のミーティングはアジェンダも特段決まっているわけではなく、お互いの製品を机の上に出してみて何かできないかな、というようなブレストに近い物だったと記憶している。知っている人は知っていると思うけど、インフォテリアはロータスのスピンアウトだ。社長の平野さん(某カレーの会で時たま見かけるpinaさんとして知っている人も多いでしょう)、CTOの北原さんはともにロータスの出身。僕の同期の天才プログラマSも、設立とほぼ同時にインフォテリアに参加している。そして、僕も小松さんもロータス出身(小松さんは僕のロータスでの最初の上司)。そんなわけで、そんな雑談ベースのミーティングが実現するわけ。ちなみに@IT社長の藤村さんもロータス出身だし、リアルコムの現CTOの竹内さんも元ロータスの副開発本部長。結構ロータスの人は面白いことやっていると思う。
さて、そのミーティングに途中から現れたのが、江島さんだった。平野さんのご紹介では「色々助けてもらってる」人とのこと。名刺をもらうとEvangelistと書いてあった。そのときは、アリエルが持っているP2Pフレームワークのご紹介と、インフォテリアのAsteriskをつきあわせてプロダクトとして何ができるかという話で、それほど夢に近い話はしていなかったかな。江島さんはすごくおとなしい感じだった。
その後もそれほどお会いする機会があるわけではない。NILS(New Industry Leaders Summit: 2007年秋よりIVS - Infinity Venture Summit に改名)で毎度お見かけし、一言二言お話するくらいか。でも彼のブログは良く読んでいる。痛快だし、ぶっちゃけているところが気に入っている。ぶっちゃけて書くのって大変なんだよねー。江島さんには「ぶっちゃけろ、飾ってないか」と自問しながら書く、それが自分がブログを書く意義だ、のような使命感が感じられる。
さてすっかり前置きが長くなってしまったが、僕の人生の転機。
小学校でいじめられていた話とか、まさかそこまで遡ると疲れるので、社会人になってから。
まず新卒で何をしていたか。大学は理系学部だったので、「学校推薦」という罠仕組みがある。僕は理論物理を専攻していたので、物理を生かすか、好きだったソフトウェアという切り口で就職先を選ぶか自分なりに考えた。結局悩んでいるうちに、仮申し込みをしていた学校推薦が決まってしまい。当時は僕も納得して、大手光学機器メーカーに就職した(そう。物理を活かそうと思うと「波」が一番わかりやすい。そして光学になるわけ)。実は同じ研究室に、Fという友達がいて、彼は最初からソフトウェア会社指向で、学校推薦なんて全く使わないというスタンスだった。今思うと、なんて潔ぎ良かったんだろうと思う。そして、そのFが就職したのがロータス株式会社だった。
結論から言うと、学校推薦で入った光学機器メーカーは、9ヶ月ちょっとで辞めてしまった(※)。4月に新卒として入ったので11月末で退職。入社したばかりの頃はやる気も満々だった・・・と書きたいところだが、僕の場合は、本当の最初の最初から「なんか違うな」と感じていた。僕は今でもそうだけど、嫌なものは絶対嫌なので、脱出計画を練るわけだ。本当に嫌でしょうがなかったので、昼休みになると社員食堂でランチをさっさと食べ終わって、仲の良い同期と「ねえ、ベンチャーって起こせるかな。どうやるのかな」といったような新入社員の典型的な青臭いアホンダラ話をしていた。(でもその後まんざらでもなくなったのは奇跡)
そういえば、自宅に自分専用の電話を引いて、テレホーダイにして、ISPと契約したのもこの頃だった。新入社員の安月給で、このマンスリーコストは痛かったけど、未来に対する投資だとかなんとか思っていたような気がする。1996年春。
(※)そして噂によると、その会社の物理学科理論研への学校推薦の枠が翌年からなくなったらしい。もし本当なら後輩には本当に申し訳ない...
なんか嫌だなぁと思い始めてしばらくたった5月(典型的な5月病とも言うね)。大学や高校の友達によく電話をかけて、みんなの社会人具合はどんなもんか聞いてみていた。みんな言うことはだいたい同じで、7文字に要約すれば「(社会人とは)こんなもんかな」と口をそろえて言う。(ちなみに僕は「こんなもん」なはずないので、何とかしたいと思っていた)悔やまれるのは、当時の僕の友達に起業しているやつとか、ベンチャーで働いているやつなんていなかったことかな。まあそんな友達との電話の中で、一人だけ、前述のFが「最高だよ。楽しい」と言った。ロータス株式会社の開発本部だ。
もし転職するなら、ソフトウェア技術系で行くことは決めていたので、Tech Being を愛読(笑)していたのだが、F君と話してからしばらくして、ロータスの開発が募集している記事を見つけた。早速応募した(ロータスが求人記事をTech Beingに載せたのは、この年この号だけ。実は今でもとっておいてある)。
かろうじて存在してたフレックスタイムを利用して、五反田のロータス本社に面接に行った。面接は1日に二次まで(最終まで)やったような気がする。最初は採用担当の人事のOさん(当時)と、2次は、当時人事部長のNさんと、当時開発本部長の栗村さん(栗村さんはアリエル・ネットワークの創業社長。のちの転機にも関わってくる人)。栗村さんの質問で印象的だったのは「開発なんて入るとずっとオフィスの中にいるんですよ。ずーっとPCの前に座って...いいんですか?」みたいな質問。僕は全然嘘じゃなく一日中PCと向かい合っていて幸せな人種なので、その通りに答えたら、クリアしたみたい。面接のあと、五反田本社を振り返って見て、ここにくるのかなーどうなるのかなーと思った記憶がよみがえる。
ちょっと脱線。PC一日中さわっていて幸せなのは本当で、パソコンが買ってもらえなかった小学校の頃から、近所の、今でこそオンライン販売など始めているが、当時は地元密着型(笑)家電量販店のムラウチ電気に入り浸っていた。夏休みなんか、開店と同時にパソコン売り場に入って(冷房がひときわきいていて涼しかった~。匂いも覚えている)、BASIC でプログラミングしてみる。基本はIF~THEN~の組み合わせで、テキストアドベンチャーなどを作ったり、絵を描いたり。当然ながら閉店になると電源が落とされるので、翌日はまた0から。まあ、そんなこんなで、一日中「自分の」PCをさわっていられるなんて最高だと思いません?ましてやそれが仕事になるなんて。
閑話休題。
光学メーカーの同期の中で会社を辞めたのは僕が最初だった。だから同期だけによる僕の送別会では、同期が街中で僕を胴上げしてくれた。今でもその胴上げに応えたいと思っている。最終出社日を終え、会社を出たとき、今までに味わったことの無いような晴れ晴れとした気持ちだったのを覚えている。でもまあ振り返ってみて、自分が「あまちゃん」だったのは間違いない。向いていなかったんだな。
日本の光学メーカーからロータスへの転職では、日本企業=>外資、ハードウェアメーカー=>ソフトウェア開発会社、の二つの違いからくる文化の違いが、文字通りいくつかのカルチャーショックとして記憶している。部長が若い、とか。いい意味で「ゆるい」とか。若造の発言が通る、とか。転職が激しいとか。このときは転社じゃなくて、本当に「転職」だったと言える。この辺のことも記録しておきたいと思うけど、次回に続く。
というわけで今回の転機は、96年に起きた、日本の大手光学機器メーカーから、外資ソフトウェア会社ロータス株式会社への転職について。
次回は2000年マイクロソフトへ転職、2001年アリエル・ネットワーク設立に参加、あたりでしょうか。サブストーリーも記録したいので、Skypeにたどり着くのは少し先になりそう。
YEPではどうも!思い切ってコメント入れてみました。
私も昨日はいろんな出会いを振り返って懐かしく思いました。しんちゃんは忘れていると思うけど、私は初めてしんちゃんと話をした日のことを鮮明に覚えています。初めて新卒内定者で集まった日の帰りの道々、しんちゃんはまだなんか暗い顔をしていて、いかに自分が前に勤めていた会社がつまらなかったかを切々と語ってくれました(笑)。あの時は晴れて転職を決めたもののまだ不安もあったのかなあ?私は会社という物がまだどういうものなのかさっぱりわからず自分がロータスで何をするのかもまったくわからなかったのに、いろんなこと経験して考えている人がいるんだなあとびっくりしたものです。懐かしいね。
投稿情報: とも | 2007年12 月 4日 (火) 00:57
ともちゃんさん、早速コメントありがとうございます。久々にあったけど変わらないね~。お子様たちも可愛い!
さて、そんなに切々と語ったかねぇ笑。正確に言うと「いかに自分が前に勤めていた会社がつまらなかったか」ではなく、「いかに自分が前に勤めていた会社で自分はつまらなかったか」ですね。楽しんでいる人が大多数だったし、僕の同期も今は偉くなっていますからね。でもロータスに入ったときははっきり言って、みんなと同じじゃダメだなと思っていました。だって1年足踏みしてんだもんね。でも進むべき道が分かっていたので心は晴れ晴れだったはずです。本当に色々な人から色々なことを教えてもらって、自分でも学んで今に至っていると思うよ。特にロータス、MSを辞めたあと笑。このあと書こうと思っているけど今(から一年くらい)の自分のステータスはかなりハイテンションかつ、エネルギッシュです。でもっ僕はいくら燃えていても決してそう見られないんだよね~。今度遊びに行かせてください&遊びに来てね。
投稿情報: siwata | 2007年12 月 4日 (火) 02:06