たぶん僕がこんなことを書くのは違うんだろうけど、もっとつらく悲しい人がいるんだけど、日々の徒然を残すブログとして、淡々と記したい。
その人は、初めて会ったときからその人柄の良さがにじみ出る人で、ユーザーさんではあったのだが、それ以上に普通に友達になりたいと思った。いつもニコニコしていて、汚れなんて一切感じぬ、きれいな人だなーと思った。聞けば、役所でも頼まれたことは断れない性格で、困った人がいれば手伝いを申し出る。そんな慕われし若者であったそうだ。その事実は、僕の第一印象を裏付けるに十分で、全くその通りの人間だろうと思う。以前誘われたように、松川の飲み屋でいつかは心おきなくともに杯を傾けたいと思っていた。
死んでしまった。
僕なんて都合2回しか会ったことのない彼だし、もっともっとつらい思いをしている人がたくさんいるのに、でも書いて残したい。
4歳になる子供と週末遊ぶのが好きだったそうだ。
その日も海岸まで坊やとキャッチボールをするために散歩に出た。そこで現場に遭遇した。台風で荒れ狂った海でおぼれる18歳の少年。その友人二人が助けを求めてきた。海水浴に来ていたのであれば、浮き具の一つでも持っていたであろうに。悔やまれる。
ただでさえ溺れた人を救うのは至難の業。(実は間接的な知人に同じような運命をたどった人がいるので、身にしみて海の残酷さを知っている)。ましてや荒れ狂う海に身を投げ出すなどと、その行為を無謀という向きもあるだろう。知るかそんなこと。常識論はわかっている。わかっていてそうしたんじゃい。うるせえだあーってろ。
彼にはそれ以外の選択肢がなかったのだからしょうがない。
頼まれたら断れないのだから仕方がない。
その性格が、まさか「災いした」などとは言えない。災いしていない。災いじゃない。
役場職員としての責務と、自身の信じるところが、そう命じたのだから仕方がない。
「なんでそんなことをしたんだろう」と言う人がいたら、馬鹿みたいに聞こえるかもしれないけど僕はこう言う「頼まれたからですよ」と。遺された家族の悲しみは、想像すらもできないでいるけど、彼を知らない人に常識論だけ述べてほしくない。
彼のことを知る誰もが、彼なら間違いなくそうしただろう、と例外なく思うような方だった。
溺れる18歳の若者の仲間に助けを求められて、その人は、そうした。
4歳の愛する息子に、鍵と携帯電話を預けて、
「お父さん、助けに行ってくる」
と言って海に入った。わずか30歳という夭折。
鍵と携帯を握りしめて父を待った子供の気持ちを思うと、胸が苦しくなる。
パートナーさんから事実を聞いたのは、その事故の日の夜中。週末は、自分も弱いかな、なるべく考えないように過ごした。でも火曜日、思い切って北谷町役場に確認したら、やはりその人だった。電話先で語るその言葉を聞きながら、すでに心はその日の告別式へ向かっていた。電話を切ってすぐ荷物をまとめて事務所を出、羽田へ向かうタクシーに飛び乗っていた。黒いネクタイもできないながら、告別式の一般弔問終了10分前に何とか間に合ったのはよかった。
思えば以前、北谷町役場を訪れたときに、さわやかにニコニコと対応してくれ、帰りに沖縄そばのおいしいところを聞けば、「浜屋」を紹介してくれ、かつ多忙につき自身が同行できないことを詫び、その後東京で再会したときもさわやかさはそのままに東京を楽しんでくれて。絶対もう一度、心を込めておもてなししたかったし、彼の沖縄でのもてなしも受けたかった。
4歳の坊やは、父から、人生のすべてを学んだと思います。
お父さん、立派でした。
なんで2回しか会っていないのに、あのなつっこい笑顔が忘れられないんだろう。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
ご冥福お祈りします もう何にもいうことがないです
投稿情報: keke | 2007年9 月20日 (木) 01:59
kekeさん、コメントありがとうございました!
投稿情報: siwata | 2007年9 月21日 (金) 00:26