某オープンチャットで見つけた記事:
「教育“委員会”を再生せよ」 (NBOnline)
教育委員会は、都道府県単位、市町村単位の独立した執行機関で、メンバーも役人ではなく一般市民から選ばれます。といっても、いわゆる市民団体からではありません。市民の立場から行政に参加する公職、本来の意味での「オンブズマン」。それが教育委員会です。
こう書くと、ほう、教育委員会って、実は素晴らしい仕組みじゃないか? と思いますよね。そのとおり。「官」の暴走を「民」が防ぐためのきわめて民主的な仕組みなのです。
ところが、いまでは教育委員会の本来の意味がすっかり失われているようなのです。
(中略)
けれども彼らは、こんなあきれたロジックで反論してきたのです。
「それでは一生懸命勉強して免許を取ったいまの先生たちがかわいそうだし、教師を目指して勉強している学生さんが意欲をなくしてしまう」なんてことはない、彼ら教育委員会にとって大事なのは、生徒たちではなく、自分たちと利害の一致する既存の教師とその予備軍だったわけです。生徒のためを思って教師の質を上げるよりも、既得権益を守るほうが大事、というわけです。
記事を読むとわかると思いますが、こんなんだと、「『官』の暴走を『民』が防ぐための」組織である教育委員会を監視する別の組織が必要なんじゃないかと思っちゃいます。子を持つ親としては非常に心配ですし、もう少し、聖職であるということと、広い意味での「公」であることを認識していただきたいと強く思います。
さもないと、日本もあっという間にアメリカのように、良い教育を受けさせようと思ったら私立だ、というのが常識になって、公立と私立の差が拡大してしまうでしょう。するとさらに教育の格差が生まれて、流行の(?)格差社会にもつながっていきます。教育は、もうすでにその傾向がでていると感じています。
僕の持論は、教育委員会の人は、すべて一度でもいいから「一人で」海外旅行なり海外出張などを経験すべきなんじゃないかと思います(先生もそうですね)。一人で海外に旅行なり出張すると、会う人会う人が自分のことを「日本代表」として扱ってきます。そのときの感覚が大事です。翻って日本のことを考えるようになるのです。僕自身がそうでした。
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