先ほど書いたエントリで、おばあちゃんのお見舞いから帰ってきたところ、と書きましたが、そのおばあちゃんが、つい先ほど亡くなったと母から連絡がありました。本当に昨日お見舞いに行けて良かった。うちのぼうやも、ママと一緒に作ったお花のカードを渡すこともできました。僕は内孫なので、共働きだった岩田家では、おじいちゃんおばあちゃんが昼の間、僕と妹の面倒を見ていてくれました。祖父は僕が高校1年生のときに亡くなっています。祖母は認知症が進行してからは、大人になった僕のことも、まるでまだ小学生のように「学校から帰ってきたか」とか言うようになっていましたが、思い出してみると、きっとその頃、つまり僕が小学校から帰ってきてから両親が仕事から帰るまで、両親の代わりをしていた時期が、僕との関係で一番濃かったのかな、一番責任を感じながら育ててくれたから印象に強く残っているんだな、と思います。濃い部分だけが残ったのかな、と。
1月前くらいにお見舞いしたときも、意識があまりなかったのですが、今日も僕の呼びかけに答えることはありませんでした。少しでも反応するかと思い、小学校の時のように「ただいま。しんちゃんだよ。帰ってきたよ」と言ってみたり、「再来週、海外出張があるから、帰ってきたらまた来るよ。その前にも来られたら来るよ」「あまり来られなくてごめんね」と繰り返し色々言ってみたけど変化はありませんでした。もう100歳近いですし、痛みも苦しみもないような大往生でしたから、むしろおめでたいことなのかも知れません。一方、祖母が認知症になってから、ぎりぎりまで自宅で看護を続けた父や母には、心からの尊敬の気持ちとともに、お疲れ様でした、と言いたいです。おばあちゃんが最期の時を迎えた病院は、とてもきれいで新しく、個室にはベランダもついていました。
先ほど、おばあちゃんの死を知らせる電話は、病院から母がかけてきたものでした。4時までに自宅に帰るそうですので、僕も今日実家に戻ります。実は、一昨日の段階では、昨日ではなく今日お見舞いに行くという案もありました。スケジュールも二転三転して、昨日まであやふやでした。今思うと、母が何となく土曜日(昨日)を僕に勧めたり(強制ではない)、心配されていた坊やの風邪も何とか治ったり、僕自身ちょっと疲れたがたまっていたのに起きたらすっきりしていて昨日行けるようになったりと、今思うと不思議です。「今日」のお見舞いはもうありませんから、昨日会えて良かった。会えなかったらきっと後悔したと思います。
病院をあとにしたのは昨日の18時頃でしたから、それからおよそ8時間ほどで亡くなったことになります。わずか8時間前は、おばあちゃんの口の近くに手をやると、熱い息を感じられたのになあ。病室から出るときカーテンの隙間から見たおばあちゃんの姿が最後ということになりました。5人も子供を育てて、おじいちゃんの看病もして、僕を本当にかわいがってくれたお婆ちゃんの安らかな眠りを祈っています。そして僕を育ててくれて、見守って来てくれて、両親以外で僕のことを本当に心配してくれる人のうちの一人であるおばあちゃんに、今日改めてお礼を言おうと思います。
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