NHKで録画した「SONGS」水谷豊編を見ました。
水谷豊と言えば、僕らの世代ではドラマ熱中時代の北野広大先生を思い浮かべる人が多いでしょう。今回はLive形式で、数曲を披露していました。
特に熱中時代(2回目?)の主題歌である「やさしさ紙芝居」のイントロの語り部分ではうるうる来るものがありました。ビー玉、ベーゴマ、風船ガムに ... というくだりです。
ところで熱中時代を放送していた頃、僕はまさに小学生でした。あのようなすばらしい小学校生活がドラマで描かれ、それを毎週楽しみに見ていた僕は、一方でいじめがはびこる現実の小学校生活を送っていました。今は、こんな風にふてぶてしく生きているので結果オーライなのですが、そのあたりの割り切りというか、幼い自分がどうやって折り合いをつけていたのかなーと、自分ながらに感心します。タイムマシンがあるなら戻って、褒めてあげたい。> 自分
僕もいじめには結構あった方でした。(それが本当にいじめだったのか、単に人一倍過敏な子供だったために普通の人がいじめと思わないこともいじめととらえていたかもしれず、そこは客観的にはわかりませんが、自分としてはそういう記憶があります) んー、だから今いじめに遭っている人とかには、絶対に自殺してほしくないなー。だって、僕、今、楽しいですよ。だって、そんなの、本当に、その学校やクラスだけのことなんだもん。実は隣の学校に行ったら、逆にヒーローになる可能性だってあるんだよ。学校って逃げ場のない狭いコミュニティーなのでとてもリスクがあると思います。とけ込めなかったらおしまい。そのときはその世界がすべてだから本当に絶望するんだろうな。本当にかわいそう。高校生、大学生、社会人のように、「ここは合わない!はい、次!」というわけにいきません。そんなわずか10年足らずのうちに経験する理不尽な扱いのために、その後、いかようにもなる豊かな人生を見ずして終わらせてほしくないな。
仮に僕の息子がいじめられて、自分で、もしくは親が介入しても解決できないような状況で、かつ息子の責任じゃないのだったら、何度でも転校させようと思っています。未来を担っている彼にとってそんなところで余計なことに悩んでほしくないからです。もっともーっと悩まなければいけないことがあるからさー。いじめられていた僕が言うんだから間違いない。僕の中では「いじめ=ヒマ」と定義されています。それは学校でも職場でもどこでも。もっと忙しくしちゃえばいいの。
さてさて、一つ、水谷豊さんで覚えていることがあります。熱中時代で人気が出たあと、ちゃんとした表現はわかりませんが「これで僕のイメージがついてほしくない」「もう次のシリーズはやらない」のようなことを何らかのメディアが報じたのです。幼い僕は大変傷つきました。今なら理解できますし、その当時も、大人向けのメッセージだったのでしょう。でも小学生の僕がそれを聞いたときは、とっても傷ついたのです。いいじゃん、北野広大先生で!水谷豊さんは北野先生がいやだったんだ、と思っちゃったんです。子供の視聴者が多かった番組でしたから、子供の耳にも入ると言うことを念頭に置いて、水谷さんか、メディアかどちらかわかりませんが、もう少し配慮があって良かったかな、思います。
またこういうこともありました。ヒットした歌が自己表現とずれている、でも売れている、というギャップを感じて歌手活動をやめてしまったそうです。(それで今回20年ぶりにCDを出されるそうです)
ずいぶんととんがった人だったんですねー。今ならよーくわかります。自分らしさを追い求める人生です。50代になって丸くなったと番組でも言っていました。でも、僕は自分自身を振り返ると、変な言い方ですが、小学生くらいの時にすでに丸かったんですよね。大人ぶっていると言うことではなく、むしろ落ち着いていてものをよく考えて行動するというような意味合いにおいて。カオスが嫌いだったし、カオスの中にも法則を見いだしてそこに向かおうとするような。それ以降、つねにどのシチュエーションにおいても同世代の中で、他と比べて精神的に2〜3年ほど成熟していたようです。(たとえば人を許すこととか、前向きにとらえることとか、代替案なくして無下に否定しないとか)それは、自分でも思っていたし、他人からもよく言われました。今、35歳なので、この点だけに固定すると、すでに50代の落ち着きが過去にすでにあったすると、今後どうなっていくのかと自分で思うこともあります。きっとそれ以外に欠けている部分も多々あるだろうし、進んでいる部分はそれがきっと有形無形に、すでに今の自分の社会的地位の形成に有利に働いているんだと思うことで納得しております。
そんなわけで、昔っから、いつもいつも、早くおっさんになりたいなーと思っていました(仲良しにはよく言っていたものでした)。
そして今や、押しも押されぬ、どこに出しても恥ずかしくない見事なおっさんになり、安心して堂々と「大人な」発言をしております。昔と言うこと変わっていないんだけど、今の方が聞いてもらえるみたいです(肩書きも多少あるのかな)。変なの。
追記 (2008/05/06):
昨日、我が家でこどもの日のお祝いをしたとき、父と、このブログエントリの話題になり(たまたま読んでいた)、熱中時代を継続しないことに関する水谷豊さんのコメントのもう一つの説を思い出しました。それは、「番組のクールが終わるたびに、せっかく仲良くなった子供たちを分かれるのが辛い」ということでした。それを父が覚えていたのですが、僕もそれを聞いてその当時そういう話も確かにあったなと思い出しました。どちらにしても、子供が理解するには難しかったですかね。今も好きだなー北野先生。ただ単に続けて欲しかっただけだったんだ、きっと。
久しぶり! 熱中時代、私も見てた!面白かったと思うけど内容はほとんど覚えてないや。すごく面白かったという記憶だけ。
いじめに関する話は考えさせられました。実は私はいじめられた経験がない。だから自分の子がいじめられたらどうしたらいいのか、対処できるのかどうか、ちゃんと私に教えてくれるのか・・・ともうすぐ小学生の子供を抱えて不安に感じてたけど、この記事読ませてもらって、なんか安心?しました。
投稿情報: とも | 2008年5 月15日 (木) 22:58
ともちゃん、コメントありがとう。
僕は親には絶対に教えない子でしたねー。それは自分の子供に対しても心配なことです。まあ結局本人の問題なんだろうな。ボクシングの内藤さんじゃないけど、何か自信を持てるものがあれば良いんじゃないかな、と思います。僕の場合はたとえば、勉強とか、卓球とか、絵とか、書道だったかな?
投稿情報: siwata | 2008年5 月22日 (木) 02:39