僕の拙著の読者で、このブログにも以前コメントをいただいたTさんと、ひょんなことから合うことになりました。
Tさんは早稲田大卒業後、日銀に就職。その後、退職されMBA取得のため渡米。帰国後はメーカーの経営に当たり、現在は次のステップを模索中というステータスの方です。
パートナーシップと言うよりは、個人対個人の意見交換という趣旨で、焼き鳥を食べました。世代的には僕とほぼ同じです。なにより、キャリアに対する考え方や、人生観が僕と酷似していて非常に驚くとともに、自分自身がエンドースされた気がして楽しくお話しできました。おそらくTさんは僕に相談したかったことについてあまり深くお話しできなかったかも知れませんが。。。
同じ価値観のひとつは、「人生すべての決断が、直接間接であれ、up to me」だということです。またはその環境を創り出すことが大事だというプライオリティです。誰かのせいにできる環境の排除、それにより得られる爽快感などについて、驚くほど同じ考えをお持ちでした。
今後のパートナーシップ(今の仕事として、個人として)について、数時間話した後、ふと思い立って、某社のF氏から質問されたことをTさんにも聞いてみました。なぜなら、Tさんはたぶん僕と同じ答えをするだろうと思ったからです。その質問は
「人生を1度だけやり直せるとしたら、いつがいいですか?」
というものです。そのときの僕の答えは、「やり直したくない」でした。そして質問したFさんに大変驚かれました。持ち前の面倒くさがりもあると思いますが、その時々の決断でかなり考えて進んできているつもりでしたし、もう一度やり直しても、たぶん悩みに悩んで今と同じ決断を僕はするだろうと強く思うからです。
そしてTさんの答えは....................1分ほど考えて
「特にありませんね」
でした。やっぱり。。
でも、ここでTさんからの理由を聞いて、自分でも言葉にできなかった、そのときの回答の動機について、気付かせてもらいました。
僕は決断が正しかった、思い残すことは何もない、すべてやった(今幸せであるということ)から、やり直す必要はない、やり直したくない、と言いましたが、Tさんはさらに一歩踏み込んだ回答をされたのです。
「決断を下した当初は正しいかどうかはわかりませんが、その決断が正しいものとなるために努力しました」
そうでした。僕もそうです。未来を知ることができない我々が下す決断とは、そのときの最良「と思われる」決断であって、ベストかどうかはわかりません。ただし、決断を下した後に生きていくのも実行するのも、決断を下した自分自身。それならば決断を信じて、その決断が正しいものと信じて邁進していくことが重要です。その邁進こそに妥協をしなかったので、「やり直したくない」という結論だったんです。そう言われて、僕もそう言いたかったんだと気付きました。
すべての決断、今の自分がある原因、なにもかも up to me です。
それ以外にありません。それ以外にあったら、それは「誰かのせいにできる」ことです。誰かのせいにできるのは、そのときは楽ですが、楽しさも半減しますし、愚痴の原因になります。どのような人生を選ぶかは(愚痴の人生もアリと思っています。本当に)、自分次第ですが、僕は前者が自分に合っていると思っています。
人間は弱いので、誰かのせいにしたいものです。そしてついさぼっちゃいます。僕もそうです。
でもついついそんなになっちゃう自分がイヤな人たちはどうすればいいのでしょうか?
僕の解は、誰のせいにもできない環境、さぼれない環境に自分を置く、ということでした。成功も失敗も自分のせい(up to me)。この潔さが気持ちいい。僕が考える人生の秘訣なんですが、なかなか書く機会がありませんでした。これを堂々と書くには僕と同じ考えの人との出会いが必要だったみたいです。
Tです。昨夜はありがとうございました。こう書いていただくと、カッコ良すぎますね:-)
この嬉しい出会いに感謝、大切にしたいと思います。ありがとうございました。
投稿情報: Akira | 2007年7 月24日 (火) 10:14
Akiraさん、コメントありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。Akiraさんの次のステップに注目しています :)
投稿情報: siwata | 2007年7 月25日 (水) 00:51